2014年9月29日月曜日

未経験の副将として

こんにちは。
この度、副将を務めることになりました、スポーツ科学部3年の藤井英貴です。

「感性とは実際に経験を積まなければ得られない」

これは、とある本に書いてあったことです。
また、

「リーダーに必要なのは豊かな感性である」とも書いてありました。

強くもなく、勝てるわけでも無い、普通の漕手である私に出来ること、
それは他の幹部に理解できない感性を活かすことだと考えています。


勿論、私には対校選手の経験は無いので、彼らの感性を理解することは出来ません。
ただ、この組織において常に注目されるのは彼らであるが、彼らはこの組織ではマイノリティーであり、多くの部員は私と同様に陽の目を浴びずに日々を過ごしているのです。


早稲田大学漕艇部が強くなるには、内部競争の活性化として対校選手以外が強くなる必要があると考えています。

私だからこそ出来ること、私にしか出来ないこと。

これだけを考えて一年間の職務を全うしたいと考えます。



そして、個人としては対校選手となることで未経験出身者として
最高の感性を持ち、発揮したいと考えます。

他の幹部の所信表明のように必ず日本一になるとは断言出来ませんが、必ず私なりの方法で部を支えて強くします。

これから宜しくお願い致します。

スポーツ科学部3年 副将 藤井英貴

2014年9月25日木曜日

絶対に王者奪還

こんにちは。
スポーツ科学部の土屋愛です。
この度2015年度、私が主将になることが決まりました。

私は中学校から、ボートを漕いでいます。
中学校の頃は、ただの遊びでしかなかったボートという存在が、
今ではなくてはならない存在になっていることに、自分自身驚かされています。

「私は何の為に勝ちたいのか」

新体制に入り、学年ミーティングが何度も何度も何度も行われました。
その度に問いかけられるのは、この言葉です。

何故、勝ちたいか。
そんなことは当たり前です。
自分の名誉の為です。

ですが、大学に入り変わりました。
他の何かの為に戦いたい、それが私の勝ちたい理由になりました。

【早稲田大学 女子部主将】

私が想像している以上にすごく大きく、不安でいっぱいです。
ですが、同期や後輩たちの元気でやる気に満ち溢れている姿を見ると、
何故だか不安が無くなるような気がします。

うまくまとめられないかもしれません、
頼りないかもしれません。
ですが私なりの女子部主将、しっかり務めさせて頂きます。

最後に、2014全日本選手権、私はこの大会を絶対に忘れません。
この悔しい気持ちは全日本じゃなければ、晴らすことができません。

最後の一年全てを捧げ、
全日本王者奪還へ挑みます。
スポーツ科学部3年 主将 土屋愛

2014年9月22日月曜日

主将

皆さん、こんにちは。
これから1年間、早稲田大学漕艇部の主将を務めますスポーツ科学部3年の長田敦です。

自分が何代目主将であるのか分かりませんが、早稲田大学漕艇部には古くからの伝統があります。
この伝統を引き継がなければいけませんが、新しいことを試みなければ勝てないと僕は感じています。
主将に就任して僅か数日ですが、考えることが非常に多くなりました。
勝つために近道は無いと思い、ひとつひとつ最善の答えを見つけていきたいです。

最後になりますが、戸田の夏はまだ終わっていません!
後輩たちが新人戦に向け厳しい練習を積み重ねています。
是非、戸田に足を運んでいただき共に早稲田を応援しましょう。

スポーツ科学部3年 主将 長田敦

http://www.wasedarowing.com/members/members2012/members2012_nagata.html

2014年9月10日水曜日

今一度チャンスを掴みに


全日本大学選手権にこの四年間の想いを全てぶつけた。
しかし、三位に終わった。

全てぶつけて挑んで負けた分ショックは大きく今までで一番落ち込んだ。
このまま落ち込むこともある意味それはそれで一つの道ではあると思う。
だが、まだ終わりでなく日本一になれるチャンスはある。
落ち込むのはその後。

もう悔しい思いはこりごりなので今一度自分の持っている全てをぶつけてチャンスを掴み取りに行く。
エイトのみんな、早稲田のみんな、必死こいて勝ちに行こう。

スポーツ科学部4年 主将 青松載剛

勝ち締め


ついに明日からラストレースとなる全日本がはじまります。
私は1年生の7月、漕艇部に入部しました。理由は『日本一になってみたい』でした。

未経験からボートを始めた私にとって、最強のメンバーがそろう早稲女のなかで生き残ること(試合に出ること)は容易なことではありませんでした。
そこで私は強みを作るべく練習しました。
そして〈クルーに合わせるシンクロの技術〉を自分の武器にしてきました。
全日本は女子ペアで出漕しますが、この3年半わたしを成長させてくれたこの武器で勝ちにいきます。
ストロークを漕ぐ後輩の土井は、パワフルで私を引っ張ろうと常に全力で漕いでくれます。
私もパワフルかつシンクロを最大限発揮し、頂点をとってきます。

私は女子エイトでも出漕します。
エイトは後輩が多く乗っており新体制へのバトンタッチの意味をもつと考えています。
メダルを取った経験は必ず競技者として、財産や飛躍の足がかりとなると思います。
4年生として、坂内と共に後輩に伝えていきます。

女子主将としての1年間を振り返り、1番良かったと思うことは、部員の努力を間近で感じ、見守れたことです。
そしてレースで早稲田の一体感が出たとき、このチームの主将をできて幸せだと思います。
部員みんなとのラストの時間を、勝って締めくくります。

ボートをはじめ半年で6回も沈をしていた私には、優勝したり、主将をする姿など想像できませんでした。
早稲田大学漕艇部は私を大きく成長させてくれました。

いつも側にいてくれた同期
一緒に乗って下さった先輩方
切磋琢磨した女子のみなさん
とにかく元気で、女子とは違う視点や意見をくれた男子のみなさん
サポートしてくれたマネージャー、トレーナーさん
いつも応援してくれる親
応援や声かけをして下さるOB・OGの方々
そして、御指導して下さる監督コーチの方々

皆様に感謝しています。
最後まで私らしく、ボートに向き合ってきます。

応援よろしくお願いします。

スポーツ科学部4年 女子部主将 辛島瑞加

2014年9月9日火曜日

ラストレースを前に


9月に入り、4年生として迎える全日本選手権まで1週間を切りました。
これは大変なことであるはずですが、不思議とその実感がありません。
今の日々がもうすぐ終わり、それぞれが別々の場所で暮らす日が本当に来てしまうのでしょうか。

色々なことがありました。
常にベストを尽くしてきたつもりですが、もっと出来たなという悔しさや恥ずかしさの方が多く思い出されます。
一番は、もっと選手たちと共にいる時間を作れていたらな、ということです。
目の前の仕事にのめり込み過ぎ、それに一杯いっぱいで、同期や後輩と触れ合う時間が短かったかなと思います。
青松や辛島とも、もっと多くの時間を過ごして色々話したかったなと思います。

一方で、そう思えるほどマネージャーの仕事に邁進出来たのは、
同じマネージャーの皆のおかげです。
醇さん・吉川さん・えりかさん・村本・ばいそんは、間違いなく戸田最強のプロ集団です。
このみんなといると、どんな仕事も楽しいことに変わり、無茶な要求にも立ち向かっていける元気が湧いてきます。
本当に、恵まれているなと感じます。

別れが近づいてきて思い浮かぶのは、やはり同期との思い出です。
「見た目だけ仲良し」など、色々と言われ続けて来ましたが、そんなことはもうどうでも良いことです。
僕は今の4年生の一員でなかったら、大学漕艇部で4年間活動できていなかったと思います。
だとしたら、そうした仲間となってくれた同期の皆には、最大限の感謝の気持ちを持たなければなりません。

最後のレース、僕は艇庫で早稲田クルーのゴールを待ちます。
後悔のない、納得のできる結果となるよう僕も最後まで自分の役割を果たします。

政治経済学部4年 主務 村田翔太朗

深謝


4年の小川です。
私は2浪を経て入学したので、周りの学生に比べると少しだけ余計に年をくっています。
入部当時は「2コ上の同期」「1コ上の後輩」「同い年の後輩」などと複雑な関係がありましたが、
よく私を快く受け入れてくれたものだと思います。

漕艇部での日々を振り返ってみると、
他のマネージャーには尻拭いで余計な仕事を増やすばかりでしたし、
1年間の留学で穴をあけましたし、稲門マネージャーとしても幹事長始め多くのOBの方に迷惑をかけてきました。
失敗と後悔は数え切れませんが、そんな私に愛想を尽かさずに助けてくれた先輩方、同期、後輩たちのおかけで、
欠点だらけの自分を受け入れてやることができた、かけがえのない3年半でした。

そんな私ができる恩返しといえば、マネージャーとしての務めを最後まで全力で全うする以外にありません。
これまで、本当にありがとうございました。
引退まで残りわずかですが、これからもよろしくお願いします。

国際教養学部4年 稲門 小川醇

こんにちは。4年の吉川です。

ボートを始めてもう7年近くになりました。
小中学校ともに海外で過ごした為、私が始めて部活動を経験したのは高校でした。
ボート部を選んだのは最良の選択だったと、今でもあの時の私を褒めてやりたいものです。

この7年間で、ボートという競技は私に多くのかけがえのないものを与えてくれました。
ひょろひょろだった私に健康な体を、集団生活が苦手な私に社会性を、孤独だった私に始めて「同期」という仲間を与えてくれました。

空っぽだった私の中身は、気が付いたらボートから授かったもので溢れかえっており、
今では私の9割5分はボートによって育まれてきたと言っても過言ではありません。

最後の大会になる全日本選手権まで残り数日になりました。
今までボートという競技から頂いた多くの「かけがえのない」もの。
今度はそれを全て尽くしきって最後を戦い抜きたいと思います。
それが私なりのボートに対する敬意の表わしになれば幸いです。

基幹理工学部4年 吉川凌平

2014年9月8日月曜日

大好きな早稲田に貢献


高校生のときは、いつも2位でした。

「どうしても勝ちたい」との思いから、早稲田に入学しましたが、
先輩方と自分の実力差を痛感させられる日々が続きました。
勝ちたいどころか、これでは引退までレースに出ることもできないのではないかと本気で心配しました。

そんな私にも、チャンスが巡って来ました。
10月の新人戦の対校クォドに乗れることになり、
先輩の足を引っ張らないようにと必死に漕いで、人生で初めて「優勝」することができたのです。
初めての金メダル、初めてのトロフィー、初めてのwinning rowー。
どれもこれも嬉しくてたまりませんでした。
その日レースを見に来ていたある方から、こう言われました。
「2年生の2人が乗っていたら、負けないよな!」
まさにその通りで、このレースは偉大な先輩方に勝たせてもらったレースでした。

その日から、私の目標は「早稲田に貢献すること」になりました。
足を引っ張らないように漕ぐのではなく、早稲田の優勝に貢献できるように漕ぎたいと思ったのです。
そのために、冬場は猛烈に練習しました。
翌年の早慶戦には出場することができましたが、その後は軽量級で5連覇を逃し2位、インカレでは他種目が全て優勝する中メダルも取れず4位、全日本では決勝にも行けず5位と全く奮いません。
自身の無力さを感じ、自信も喪失していたとき、新人戦の対校クォドで、私がクルーリーダーを任されたのです。
この年は、クォドの10連覇がかかった年でした。
同種目10連覇は、どこもやったことのない記録です。
自信の持てない私にとってその記録はあまりに大きく、予選で負けて敗者復活に回った日は、不安で眠れなくなりました。

決勝の日、予選で負けた明治大、最後まで死闘を演じた富山国際大を1秒差でかわして1番最初にゴールに飛び込んだときのことは、今でも忘れられません。
息が苦しくて、腹筋が痛くて、サングラスを取ったら夕陽が眩しくて、目を瞑ったら涙が込み上げて来て...。
連覇を繋げて良かったと安心しすぎてしばらくガッツポーズを忘れていました。
でも、これでやっと少しは早稲田に貢献できたと胸を張って言える瞬間でもありました。

あれからもう2年。
あと2週間足らずで、私のボート人生は幕を閉じます。
今まで、早稲田の力になりたくて、自分自身を早稲田の一員として認めてあげたくて、濃密かつ苦闘の時間を一日一日積み重ねて来ました。
エンジを纏う最後のレースは、常勝集団としての早稲田に貢献するとともに、
伝統を繋いだその先、未来の早稲田に貢献する―そんなレースにします。

最後に、中学のソフトボールに始まり10年間、私を支え続けてくれたお父さん、お母さん。
本当にありがとう。

スポーツ科学部4年 副将 望月みづほ

想い


私はボートが好きだ。本当に大好きだ。
オールを伝って手元に伝わってくる繊細な感覚。
艇が良く走った時の何とも言えない感動。
誰よりも早くゴールを切った時の優越感。
これは何にも代えることができず、これから先同じスケールでこれらを感じることはできないだろう。

ボートを始めて早10年。本当に色々なことがあった。
中学、高校、大学とそれぞれの仲間とその時その時を必死に生きてきた記憶が走馬灯のように思い出される。

釣りを始めていなければ、水泳を始めていなければ、進学校へ進んでいたら、諦めて他大学の推薦をとっていたら、鈴木明也と出会っていなければ、これら無関係にも思えることが何一つかけても今、ここで早稲田大学漕艇部員として文章を書く私は存在しなかったでしょう。
これまでの多くの出会い、選択が着実に積み重なって今の自分ができたのだと強く感じる。

そして迎える最後。
ここ早稲田大学漕艇部でボート競技人生に終止符を打てること、なによりこの仲間と共に閉じられることを最高の幸せに思う。

残り僅かな競技生活。
最後のレースでは謝りたくはない。
何より、期待に応えて皆を笑わせて自分も笑いたい。
最後を謝って終わるなんて絶対に嫌だ。
仲間と笑って泣いて抱きしめ合って終わりにしたい。

死ぬ気で漕ぎます。
是非、最後まで応援よろしくお願い致します。

スポーツ科学部4年 副将 田﨑佑磨

2014年9月7日日曜日

引退を前に


4年チーフトレーナーの茂庭です。
2011年6月に入部してから3年3か月が経ち、もうすぐそこに引退する日が近づいています。
ブログを書くのは最後になりますので、長くなりますが少し振り返らせていただきます。
高校までは生まれも育ちも北海道で過ごしました。
大学から上京しました。
浪人をしていることに少なからず引け目を感じていた僕は大学では他の人よりも頑張らなくては差をつけられた1年は埋まらないと打ち込めるものを探していました。
どうせやるなら日本一を目指す部活でトレーナーの勉強をと飛びましたが、
想像していたよりも遥かに大変で、勉強しなきゃいけないことも多く、
1年の頃はほぼ毎日辞めたいと思っていました。
2年の頃はそれなりに知識もつき、選手のリハビリ計画などサポートでることが増えてきたこともあり、
大会のたびに選手達から感謝の言葉をもらえ、役に立てているんだなと嬉しく思えることが多かったです。
代替わりしてからは、一番楽しくも苦しかったのを覚えています。
最上級生として活動する中で、組織の中での自分、
トレーナーの存在意義や活動方針から考えることが多く、
選手のためになると考えたことをワクワクしながら導入しつつも、
上手くいかないこともあり、本当にこれでいいのかを悩むこともありました。
常に考え、迷い、行動し、すごく濃密な日々を過ごしました。

僕のトレーナー活動は漕艇部の引退をもって一区切りをつけるつもりです。
ほとんどの選手がそうであるように今までと違うフィールドで挑戦していきます。
しかし、早稲田大学漕艇部で学び、経験したことは必ず活きてくると思っています。
自信をもってそう言えるほどのいろんな経験させてくれた選手、監督・コーチの皆様には感謝しています。

先日の全日本大学選手権の時に部員全員が一言ずつ決意表明や、目標などを書いた横断幕を作りました。
僕はそれに“All's Well That Ends Well”と書きました。
意味は「終わりよければすべて良し」です。
日本で本当の一番を決める全日本選手権で一番になれれば、
今までの努力、失敗、苦悩は全て成功に必要な事だったと誇りに思えるでしょう。
懸命に頑張っているのを見続けてきた選手、そんな漕手を一緒に支え続けてきたトレーナーとマネージャー、ご指導ご鞭撻を賜りました監督・コーチの皆様と一緒に良しと思える瞬間を9月14日に味わえるように今自分ができることをやっていきます。

最後に、1年の頃から一緒に頑張ってきた同期達のの喜ぶ顔が一番見たいです。
サポートの皆、全力で選手を支えよう!
選手の皆、一番に帰ってきてくれることを信じてます!

スポーツ科学部4年 チーフトレーナー 茂庭佑希

チーフコックス



ラストブログになります。チーフコックスの奥山瑞恵です。
最近、やっとチーフコックスという役職に実感がわいてきました。

役割を全う出来なくて、仕事を上手く回せなくて、回りに迷惑もかけて、
泣いてばかりだった半年前に比べたら、少しは成長して良い終わり方が出来そうです。

どの代も、きっと最初は慣れないことばかりで上手くいかなくて、引退間近になって各々の代らしくなるのかもしれません。
引退したら、次世代の早稲田が、少しでも自分たちの代よりもよい代になるよう、OGとしてサポートしていきたいなと思う今日この頃です。

あと1週間、この代で早稲田の強さをしっかりと証明して、次の代にバトンを渡したいと思います。

教育学部4年 チーフコックス 奥山 瑞恵

魚吉・鳥吉


全国の皆様ごきげんよう。
4年の村本燎亮です。

大学生活を戸田に捧げて良かった、って話をします。

慶應のLIFEが面白いです。
ゆるりと綴られる中に笑いありいい話あり特製ムービーまでありで飽きません、
最近の生きがいです。
法師人、飯塚、耀子ちゃんありがとう。

そもそもいろんな大学のブログを読むのが好きです。
それぞれカラーがあって、たまに学連の仲間が部員の顔しているのを見れたりして楽しいです。

話は変わりますが引退が近い。
残りは1週間とわかっているものの、実感としてはさみしいねえくらいのもんです。
高校時代、野球部の引退試合や体育祭の一大行事が終わる時もそんな感じでした。

多分、チームってところに主眼をおいてその中で自分がどう動くか、
って取り組み方をしてきたからです。

とすればマネージャー・学連はまあまあはまり役だったのかなと。
ただそこに至るには村田さんと高谷さん、そして同期の中村をはじめ多くの人との出会いと助けがあったからで、
だから無駄にポジティブで失敗ばかりの自分でもなんとか4年間やり遂げることが出来たんだなとも同時に感じます。

そうこう考えていたら、社会に出る前最後の4年間を戸田に捧げようと決断した自分は間違ってなかったです、多分。

早稲田の艇速アップに誰よりも貢献したとは言い切れないし、
クルーや誰か特定の人に寄り添うことが出来たとも言い切れないけれど、

4年間、本気でやりきった。

それだけは自信を持っていいんじゃないかと感じる引退直前でした。

国際教養学部4年 学連 村本燎亮

4年間に確固たる価値を


朝や夕暮れの練習で肌寒いと感じる日が増え、秋の訪れを感じます。
秋の訪れを感じるとともに、いよいよ、全日本選手権へのカウントダウンが始まりました。
全日本選手権へのカウントダウンは、4年の私にとって、引退へのカウントダウンでもあります。
しかし、全日本選手権で、必死に漕いでいる自分を想像できても、
引退して、ボートを漕がない日々を送る自分が想像できません。
ラグビー部出身の未経験として入部した私もすっかり、オアズマンになれたのかなと思います。

4年間を素直に振り返るならば、大変でした。
練習しても練習しても上手にならない自分に、もどかしさを感じ、
試合でなかなか結果を残せない自分に失望する毎日でした。
大学生という、いわば最高に自由に生きられる期間に、あらゆる欲望を捨て、
ただひたすらボートを漕ぐ日々に、何の意味があるのかと、自問自答を何度も繰り返しました。

でも、今は違います。
「やって良かった」「必死に、歯を食いしばって耐えて良かった」
そう強く思います。
そう思えることが、嬉しくて仕方ありません。

きっと、「真の仲間」に出会えたことが、私にそう思わせてくれるのだと思います。
お忙しい中、戸田に駆けつけ、ご指導くださる監督・コーチの皆様、活躍を期待し、
ご支援くださるOB・OGの皆様、そして、一緒に勝ちを目指す部員の皆。
こうした方々との出会いが、私の何よりの財産です。

だからこそ、だからこそ、競技人生最後の大勝負、全日本選手権、自分の全てを出し切りたい。
4年間の全てを出し切りたい。
ゴールした時、この4年間に、確固たる価値を感じたい。
今の私の、心からの絶叫です。
この思いを成し遂げるためにも、来る全日本選手権、己の全身全霊をかけて戦います。
応援よろしくお願いします。

最後に、半年前、このブログに私のことを綴ってくれた後輩がいます。
私と同じ、未経験として入部し、その類いまれな身体能力と熱き情熱で、
めきめきと頭角を現し、あっという間に早稲田の主力となった後輩です。
彼は、早慶戦で対校エイトに乗れなかった私を勝たせたいと、赤裸々に綴ってくれました。
彼が綴ってくれたあの文章は、私の支えであり、宝物です。

彼にとって、かっこいい先輩でありたい。彼が綴ってくれた文章に恥じない人間でありたい。

という思いが、私の何よりのモチベーションとなりました。

そのモチベーションは、今でも変わりません。
どんなに辛くても、どんなに苦しくなっても、あの文章を思い返せば力がみなぎります。
同じ現役部員として戦える最後の試合。
共にベストを尽くそう。

商学部4年 江原大二朗

全ては必然かつベスト



「ラストBlogを書いてください!」
そう連絡がきて、あぁ、もう最後なんだなと思わされる。

あっという間だった四年間。
でも振り返ると濃すぎる四年間。
いろんなことがあったなあと最近では同期とよく話す。

あのときに戻りたい、あのときああしていれば、、と思うこともあるけれど、
今の自分があるのは、全て必要だったことなんだろうと思う。

勝負事というものはすごく残酷で、勝者になれるのは常に1クルーのみ。
みんな頑張っているのに1番になれるのは1人。
そんな中に埋もれ、あがきつづけてきた。頑張ってるよ、
と言われても勝たなきゃ意味ないじゃんと、思い続けてきた。
もうそんなことも最後になるのかと思うと少し寂しいなと感じる。

そして、やってきた全日本。
私はクォドで出場する。
過去の先輩方の戦う姿には早稲田としてのプライドがひしひしと伝わるものがあった。
毎年外から見ていて、私もいつかあんなふうになれるのだろうか、と何度も思った。
今も過去の先輩方のように強くはない。
けれど、早稲田としてのプライドは受け継がれているのではないかなと少し思う。

負けたくない、勝ちたい、からここまでやってきた。
まずは自分の勝利のために漕ぐ。
そして、その後にいつも支えてくれたみんなが笑顔になってくれるような結果を残す。それが全て。

ほんとうのラストスパートいきますか!

応援・サポートいつもありがとうございます。
今回もよろしくお願いします!

スポーツ科学部4年 谷川早紀

2014年9月5日金曜日

感謝


ラストブログが回って来ました。
正直、もう来ないだろうと思って油断していました。笑

さて、引退まで10日を切り、最後のレガッタに向けて気持ちも仕上がって来ているところなのですが、
部屋で1人になったりすると、今までのボートに関わった7年間を思い返してしまいます。
3年以上続けた競技は初めてで、やっぱり費やした年月が長いと色んな葛藤や衝突、
それらを経て得た成長があったなと今考えなくても良いことをたくさん考えてしまうのです。

特に大学に入ってからは自分の未熟さに嫌気がさしていた1、2年の頃の事を思い出します。
あの時から少しは成長できたでしょうか。

体育会の中でも漕艇部はかなり厳しい毎日を送っていると思います。
朝は早く、夜は早く寝る、その間には練習、学校、また練習とキツキツにあるのですから、普通の大学生では考えられないでしょう。

それ故の困難や苦悩はもちろんありました。
しかし、四年目になってもちっとも慣れた感覚がありません…
結局慣れることなく、学年を重ねるにつれ、その余裕のなさを楽しめるようになったと思います。
7年目ということと、最後の年だからという二つが重なって生まれた境地なんですかね。

自分のことはさておき、この7年間の競技生活では本当にたくさんの方々に支えられている事を感じました。

まずはOBOGの方々、優しく時に厳しく我々を見守ってくださいました。
名前は出せませんが、去年のインカレで付きペアで優勝したとき、泣いて喜んで下さったOBの方がいました。
高校時代、貴方が自分を見つけ出して機会を与えてくださらなければ私は今ここにいませんでした。
高校で大した実績を残していない自分を信じてくださってありがとうございます。
マネージャー、トレーナー陣
裏方などとんでもない。
間違いなく大黒柱はあなた方です。
朝早くからビデオ撮り、朝食作り、OBや来客の対応、選手のケア、レース中のサポート、自分が知らない仕事は他にも色々とあるでしょう。
直接言うのが恥ずかしいだけで漕手はみんな本当に感謝しています。
もっと誇りを持ち、胸を張り、毅然としていて下さい。

監督、コーチのみなさん
普段の練習を見ていて、もどかしいことも多々あったでしょう。
ご自分達の仕事もある中、今日は疲れてしまったから休みたいということもあったと思います。
それでも我々と一緒の目線で我々と同様に熱い気持ちのベクトルを勝利に向けてくださいました。
体制が変わって、多忙な日々の中、自分達を引っ張っていただきありがとうございます。

そして両親、
調子はどうだと電話してくれたり、遠い田舎から応援に来てくれたり、手作りのおかずを冷凍して送ってくれたり、金銭面以外でもずっと支えてもらって、おかげで何とか自立への道も開けそうです。
感謝してもしきれません。

最後に同期のみんな、
本当に色んなことを経験し、その度に悩んで全部を上手く乗り越えた訳ではなかったかも知れないけれど、一緒に前に進んでいこうという気持ちは共有していたと感じています。
みんなのおかげで今の自分がある 心の底からそう思います。

この学年のこのメンバーと一緒に過ごした四年間は自分の誇りです。

長くなりましたが、
自分は自分のために闘うというのがあまりモチベーションに繋がらないので、
この方々への恩返し、そして早稲田の誇りにかけて
最後のワンストロークを漕ぎ終わるまで勝利のために闘います。

最後まで見守っていただけると幸いです。

ONE WASEDAに栄えあれ

スポーツ科学部4年 正垣克敏

ラストレース


こんにちは。
男子舵手なしペアクルーキャプテンを務めます、スポーツ科学部4年の鈴木朋也です。

来週の9月11日(木)に開幕する全日本選手権が自分の競技人生のラストレースになります。
このレースでは、「やることを全てやり切った」ということを自覚して、
つまりは最高の充実感を持って引退する強い覚悟でいます。

ここでは多くのことを語りません。
小学6年生時にワセダクラブでボートを始めてからこれまで約11年間の、
苦悩・楽しさ・感謝、全ての思いをこのラストレースで表現します。
その姿をぜひ見に来てください。

最後に、ラストシーズンでこの谷上M2-クルーに出会えたことに感謝。
この思い、全ては漕ぎで伝えます。

スポーツ科学部4年 鈴木朋也

2014年9月4日木曜日

僕と早稲田と漕艇部


もし漕艇部でなければ、それなりに楽しい大学生活を送ることもできたのかもしれません。
もし学連でなければ、もっと早稲田の力になれたのかもしれません。

けれども、後悔は微塵もありません。
なぜなら、自分の存在価値とは何かと考え続け、
心から信頼できる仲間と試行錯誤を繰り返した今までの大学生活。
それは誰がなんと言おうと、僕にとって「楽しい」大学生活よりも
何十倍、何百倍価値のある、一生の宝とも言うべきものだったからです。

もしかすると、将来振り返って後悔する時が来るのかもしれませんが、
それでも納得感を持って引退の時を迎えようとしていることは、ただただ幸せだと感じています。

僕は1年生の時から、大会中は学連で活動しているので、今まで円陣を組んでクルーの送り出しをしたことも、伴チャをしたことも、懇親会に出たことも一度もありません。
おそらく最後の全日本もそうでしょう。

しかし、チームの掲げるOne Wasedaを信条に、最後まで仲間を信じてみようと思います。
早稲田で、漕艇部で、本当に良かった。

社会科学部4年 学連 中村匠

トレーナーとしての


こんにちは。
学生トレーナー4年大谷俊輔です。

残すところ引退まで2週間を切りました。
振り返れば自分が喜びを感じる時というのは常にそこに選手の笑顔がありました。

怪我から復帰した時。
ウエイトの重さが上がった時。
そしてレースで勝利した時。
トレーナーという立場は選手の笑顔を自分の喜びに変えられる最高の役職です。
自分だけが頑張っても得られない、仲間がいるから
得られる喜びというのをたくさん感じることのできた4年間でした。

そして、トレーナーが成長を感じることが出来る瞬間というのは、選手が成長した時だと思います。
自分が成長できたのも、全ては選手あってのことです。
支えていかなければならない立場ですが、たくさん支えてもらいました。
私はまだまだ未熟者ですが、選手から受けた感動や喜びの大きさはどんな偉大なトレーナーの先輩、先生方にも負けていません。
本当に、素晴らしい人達がいる早稲田大学漕艇部で活動してきたことを幸せに感じております。

最高の組織、早稲田大学漕艇部。
One WASEDAとなって最後の夏を最高の喜びにできるよう、
最期まで全力でサポートしていきます。

スポーツ科学部4年 大谷俊輔

短めに


四年間やってきてボートに関しては何もわからなかった。
どうしたら早く進むのかとか、一番良いリギングは、とか、
でもただ一つわかったことはどんなにきつい練習でも、試合に負けたときもボートを続けられたのは仲間がいたからだと思う。
去年の早慶戦でsecondエイトで優勝したときに岸で応援してくれた方々が、
船の上でもクルーのみんなが笑ってる姿を見てこの為に頑張ってきたんだなって実感した。
人生で初めて大会で取った優勝である。

未経験として入ってきた私に声をかけてくれた諸先輩方、
名前を覚えていただいたOBOGの皆様、常にそばにいた同期、
下から支えてくれた仲間(後輩ではあるが前回も述べたとおり私は皆友達だと考えているのでここでは仲間とさせていただきたい。)、
そして何より四年間わがままを通してくれた家族、その全てに報いれるように全日本戦いたい。

4年 小坂紀夫

2014年9月3日水曜日

ボート


こんにちは。
最近とても漕ぎやすい気温に秋の訪れを感じつつ、
女子付きフォアのストロークを漕いでおります、商学部4年坂内千紘です。

少し自己紹介をさせていただきますと、私は中学生の時ボートに出会い、
ボートに関わる多くの人と出会い(稲荷大先輩とも)、その小さい世界故の人と人との繋がりの太さの魅力に負け、ほとんど未経験としてここでボートを再スタートしました。

最初は練習についていけず、6キロ漕ぐのが限界。
何度も辞めたいと思いました。
でもやっぱり辞めたと思われるのが悔しくて、ついにここまできてしまいました。

思い返せば体力がなくて聖羅さんに迷惑をかけたことも、2年生のインカレでクォドに乗ってしまったことも、3年生のインカレはペアでさきと優勝できなかったことも、全然シングルが速くならなくて苦しかったことも、良いことも悪いことも本当に色々ありました。
でもそんな濃い4年間に出会った多くの人に支えられて、笑顔をもらって現在の私があると心から思います。

引退を目の前にして、残していく後輩達のことを思うと心配で、出来るだけのことを伝えて、少しでも何か残していかないといけないという気持ちいっぱいです。

同期の事は全然心配していないけど、みんなで最後笑いたいね。
私達は人数が多いから色んなポジションの人がいて、本当に心強くて、とても感謝していて、そんな同期のためにも、女子エイトのストローク最後まで頑張りたいと思います!

長くなりましたが、この場をかりて支えてくださったOBOG、
監督コーチの皆様、後輩のみなさんに心からお礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
では全日本で!

商学部4年 坂内千紘

2014年9月2日火曜日

最高の3年半


9月に入り、全日本選手権まで残すところ2週間を切りました。
わたしが漕艇部の部員として過ごす日々も残りわずかです。

入部して半年間は通いで漕手を経験し、その後マネージャーになって3年間。
なりたくてなったマネージャーですが、思い返せば辛いこと、苦しいことの方が多かった気がします。
1年生の頃は先輩に指示をもらわないと何もできず、毎日怒られてばかりだったわたしが、今では後輩に指示を出すようになっています。
この3年間でわたしは確実に成長することができました。

わたしがマネージャーをやっていてよかったと思うのは、漕艇部の活動がいかに多くの人に支えられて成り立っているかを知ることができたことです。
漕手・COXのみんなの活躍、マネージャー・トレーナーのサポート、学連マネージャーの大会運営、部員のご家族のご協力、大学、OBOGの皆様からのご支援。
どれが欠けても早稲田大学漕艇部の活動は立ち行かなくなります。
内田監督の掲げるONE WASEDAとはまさにこのことだと思います。
それを身をもって実感してから、日頃から感謝の気持ちをもって人に接することができるようになりました。

マネージャーをしているとよく聞かれるのが、「どうしてマネージャーをしているのか」という質問です。
確かにマネージャーは表立って活躍することのない役回りですが、本気で日本一を目指すチームの環境を作り、一緒に日本一を目指すことができ、勝ったときは一緒に喜ぶことができます。
これはどこの部でも同じことかも知れません。
わたしが漕艇部でマネージャーを続けることができたのは、漕艇部の"人"がよかったからです。
当たり前のつもりでした行動に「ありがとう」と言ってもらえる。
勝ったときにサポートしてるわたしの首にもメダルをかけてくれる。
数えればきりがないほど、たくさんの嬉しいことがありました。

この人たちのためなら、何だってできると思わせてくれる素敵な人がたくさんいる。
これは何より幸せなことだと思います。

わたしは早稲田大学に入り、漕艇部のマネージャーになった自分の選択を後悔したことはありません。
他の場所では経験することのできない、最高に充実した学生生活を過ごすことができたと思っています。

いよいよ最高の3年半の締めくくり。
大好きな仲間たちが本気で獲ろうとしている日本一のタイトル。
わたしも最後の瞬間まで全力で駆け抜けます。ご声援、よろしくお願いします!

文化構想学部4年 石川恵梨花

2014年9月1日月曜日

人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである


私の同期は最高です。
吉川凌平、谷川早紀、望月みづほ、鈴木朋也、小坂紀夫、
坂内千紘、大谷俊輔、正垣克敏、青松 載剛、江原大二朗、
村田翔太郎、石川恵梨花、中村匠、茂庭佑希、小川醇、
村本燎亮、田崎佑磨、辛島瑞加、奥山瑞恵

私は彼らがいなければ、同期が彼らでなければ、
早稲田大学漕艇部の四年として最後のブログを書く事はなかったと本気で思っています。
今でも思い出すのは、一年生の頃のことばかりです。
その日々は辛いことばかりでした。
オックスフォード盾エイトで勝てないのはもちろん、先輩には怒鳴られてばっかりで、なんにもおもしろくないし、学校の成績は悪くなる一方で、毎朝起きるたびに、今日こそやめてやると心で唱えていました。

事実、私は二回、艇庫を脱走しました。
留学で一年抜けたこともありました。
それでも、なお私が今この瞬間を漕手として過ごしていられるのは、
常に辛い時を共に過ごしてきた、同期の存在によるものです。

時にはぶつかり、その度に悩みました。
私の同期は、一つ上の代ほど、やんちゃではありませんし、
一つ下の代ほど、個性的でもありません。
でも、私にとっては、無条件に信頼することのできる最高の友です。

今まで、ありがとう。

最後の全日本、みんなにかっこいいとこ見せれるように、全力を尽くします。
引退しても、一緒に呑もう。

集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光

国際教養学部4年 小林大河