2015年9月7日月曜日

それやったの俺!俺だよ!!俺!

こんにちは。 4年学連マネの井原です。 最後のブログです。 ついに残すところ、あと◯日となってしまいました… 僕は1年の終わりの方の2月に入部したので、約2年半と短めですが、 高校から早実ボート部だったので漕艇部には実は6年[?] 、 本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。エモいなぁ。。 入部を誘ってくれた先輩、受け入れてくれた部員、 また関係者の方々には、本当に本当に感謝の気持ちで一杯です。 マネージャーの業務としては、色々やらせてもらいましたが 友達には「なんでお前そんなことやってんの?笑」ということもよくありました。。 だけど、自分が作った朝ごはんをいただきます!といってモリモリ食べてくれたり、 作ったパンフレットをかっこよ!って言って笑顔で配ってくれた時には本当に嬉しかったです。 心の中で”やってよかったなー!”とか、”それやったの俺!俺だよ!!俺!” って思ってました。 そして話は飛んで、2015年8月。 19年ぶりの男子エイト優勝。 こっそり学連の車で伴走していたのですが、 あの瞬間に立ち会えた事にも本当に感謝です。(後で怒られたけど) まぁとにかく、6年間最高にお世話になりました。 引退後も、早慶戦のお手伝いとかできたら幸いです。 創造理工学部4年 井原龍太郎

もうひとつの喜び

マネージャーとして活動しております、4年の森下と申します。 この度のインカレは多大なるご支援を頂きましたことを改めて感謝申し上げます。 さて、笑顔の溢れる艇庫の中にあって、私もまた喜びを感じております。 久方ぶりの勝利という歴史的瞬間に、部員として立ち会えたことはこれ以上ない名誉と言えましょう。 ところで、私には同時にもう一つの喜ばしいことがありました。 それは同期の藤井英貴君が対校エイトのクルーとして優勝杯を勝ち取ったことです。 彼と初めて会ったのは新勧の頃だったでしょうか。髪を染め、遊び呆けていた私に、彼は熱心に漕艇部への入部を勧めてくれました。 紆余曲折あり入部は九月となってしまいましたが、そこでも彼は手取り足取り寮生活のイロハを教えてくれ、私は晴れて部の一員となることができました。 彼の支えによってその後の厳しい練習を耐え抜き、翌年の春の早慶レガッタ第二エイトでの勝利という栄誉にあずかることができたのです。 二年生の秋、こんな出来事がありました。 私は夏頃から体調を崩し、満足に練習もできず、退部もやむなしか、と考えていました。 そんな折、新人選手権で早稲田が優勝するという事がありました。 その表彰式のあと、部員として何も貢献できなかった私に、藤井君は自分のメダルを掛けてくれたのです。 表彰台とは縁遠い人生を送ってきた私には、その金色のメダルの重さは何倍にも重く感じられました。 そしてその重さには、人と人の繋がりや仲間の大切さ、そういったものが含まれているように感じられました。 この出来事で私の中に彼への感謝と、恩返しをしたいという願いが生まれました。 そしてその気持ちによって私は、退部するのではなくマネージャーとして部を支えることを選んだのです。 それから二年近くが経ち、この度のインカレ優勝という形で私の願いが叶う時が来ました。 これまでのどんな時よりも幸せそうな彼の姿を見て、私は涙を禁じ得ることができませんでした。 もちろん、選手の努力に比べたら私のしたことなど微々たるものに過ぎないでしょう。 それでも、ほんの少しだけでも力になれていたら、それはとても幸せなことです。 自分の勝利という喜び、そして仲間の勝利という喜び。 このようなかけがえのない経験を私に与えてくれた漕艇部、そして部をここまで育ててくださった先輩方には感謝が尽きることがありません。 引退まであと少しとなった今ですが、私が経験した喜びを、後輩たちが同じように感じることができるよう、日々の務めを行っていきます。 諸先輩方、ご支援をして下さる皆様におきましては、この早稲田大学漕艇部という素晴らしい組織をこれからもよろしくお願い申し上げます。 人間科学部4年 森下正道

2015年9月5日土曜日

どうもこんばんは、性は角南(すなみ)名は友基(ゆうき)と申します。 大学に入ってブログなどというもの書いた覚えがないので もう引退まであと一週間しかありませんがここで軽く自己紹介をさせて頂きます。 僕は異端児です。 ただ性格はめちゃくちゃ優しく、人からめっちゃ好かれてます。 もっと自分のことを書きたいですが、趣旨が変わってくるので自己紹介はこの辺にして、4年間の想いと全日本選手権の意気込みへ話をうつらせて頂きます。 早稲田大学へ入学し、あっという間にラストシーズン。 正直この4年間は精神的に辛かったです。 2年生の早慶レガッタでの2ndエイトのストロークとして勝利したあと、気持ちが緩んでしまい、妥協が生まれてしまっていました。 挙句の果てに怪我をしてしまい、完全にこころが折れていました。 ランでは同期や後輩に負け、エルゴも伸びず水上でも負け、この先はずっと対校エイトに乗ることはできないかなと思っていました。 でも同期が助けてくれました。 男子ミートで逃げるんじゃない、お前しか長田の後ろで漕げるやつはいない。 今すぐじゃなくていいから夏絶対に乗れ。 と2014年の12月の解散前に泣きながら同期に言われ、申し訳ない気持ちになりました。 反面、自分に腹が立ちました。本当に情けなかった。 でも本当はエイトに乗りたかったし辛いけど、こうやって言ってくれる仲間がいて正直嬉しかった。 だから、この一年間、謙虚に、時間があれば自分なりにボートに向き合った。 なぜか自然とボートが好きになり、気づいたら長田の後ろで漕いでインカレ優勝を目指してるCrewの中に自分がいた。 そしてインカレで19年振りに優勝して、全日本優勝を目指してるCrewの中に自分がいる。 もちろんあの時に同期がミーティングを開いてなかったら今の自分はいない。 本当にありがとう。そして全日本優勝しよう。 One WASEDAと両親に感謝 スポーツ科学部4年 角南友基

伝説

早いもので、ブログを書くことも最後になりました。 スポーツ科学部 四年 副将の藤井英貴です。 ブログの文章を書く度に、両親から文章力や表現などを指摘されていたことも、これで最後だと思うと感慨深いです。 未経験として入部して三年半。 あっという間でした。 全日本、コースレコードで優勝します。自分の孫でも達成出来ないくらい圧倒的なスピードで優勝します。 他の学生は早稲田を追いかけて必死に戦ってくる。僕は彼らなんぞ眼中にはありません。 伝説を残す。 未経験出身の偉大な諸先輩方の伝説を聞いて、憧れて、自分も未経験者の星になりたいと思っていました。 もう未経験の枠という、周りの人が、何よりも自分が作ってきた、ちっぽけな枠から脱します。 オアーズマンとして伝説を残したい。 学生も社会人も僕の目には映りません。 決して傲慢になっている訳ではありません。 本当に目に入らない、コースレコードしか眼中にない。 この九人なら、今の早稲田大学漕艇部という組織なら成し遂げられると思っている。 最後にこの場を通して、二人の方に感謝したいです。 望月コーチ。 コーチになる以前、一年生で、未経験の中でも断トツで遅かった自分に艇庫祭りの後にFacebookを通して掛けて頂いた一言。 「貴殿には強くなるオーラを感じました。期待しています」 本当にありがとうございました。この言葉で頑張れました。 内田監督。 初めての河練習で、モーターにしがみついて指導して下さった時に、絶対に何があってもついていくと心に誓いました。 以前、未経験はまともな指導を受けることが出来ませんでした。 ボートを始めて三年目で初めて、2ndエイトにも関わらず、熱い指導を受けて、嬉しすぎて涙が出ました。 とにかく、 お二人に恩返しをしたい。 つまりは伝説を作る。 スポーツ科学部4年 藤井英貴

OneWASEDA!

まずはじめに、インカレ、女子全種目、M8+、M2+優勝、他クルー大健闘おめでとうございます。 これは、One WASEDAの体制で監督の指導のもと、全員が一つになり練習できたからであると思います。 話は変わりますが、自分は4月より部活動を実質休部し院試のための受験勉強をしていました。 早慶戦が終わりインカレに向けて意識を高めていく時期に4年漕手が突然抜けるということに関して、部員に対しての申し訳なさと、インカレで戦いたいという気持ちが強かったのを覚えています。 そして8月に入学試験があり、第一志望の大学の修士課程に合格しました。 正直勉強しているときは、部活に対して勝手な理由で休部させてもらっている立場だから結果を出さないと、という焦りもありました。 しかし、インカレで部が快挙を果たし、自分も形は違いながら満足のいく結果が出せたことに関しては、非常によい結果となったと思います。 これからは全日本に向けて全力でサポートする立場に回ろうと考えていますが、最後までよろしくお願いします。 そして全員で勝って喜びましょう。 理工学部4年 武田直己

2015年9月4日金曜日

思い出すのはまた後で。

とうとうブログを書くのも最後になってしまいました、湯淺です。 突然ですが、「目の前の景色が思い出色をしている」と思うことが ここ2年とても多くあります。 「この景色を以前見たことがある」と思うデジャヴとはまた違って、 「この景色を何度も思い出すことになる」と思う瞬間です。 高校で九州優勝した時、インハイ入賞した時も同じことを感じました。 多分、何ものにも代えがたい青春を過ごしているのだと思います。 「思い出すことになる」と思っておきながら、 思い出したことは今のところまだ一度もありません。 思い返せば耽ってしまうと思うし、今の私にはまだ そうしている時間はないと強く思っているからだと思います。 常に全力を出す姿勢を恩師に叩き込んでもらったので。(笑) 漕艇部には沢山の思い出が詰まっていますが、 それを思い出すのは全てが終わってから。 まずは目の前の目標に向かって全力を尽くす。 ということで、残った日々、全日本も全力でサポートします。 宜しくお願いします! 社会科学部4年 湯淺恵美子

2015年9月3日木曜日

長いようで短いようで長かった四年間

ついに、最後のブログです。 四年間を振り返ると、結構辛かったです笑 最初はズタボロでした笑 コックスって見た目じゃ何やってるかわからないんですね。 自分で考えて色々やっても、ラダーが下手だったり、コールが駄目だったりしたらそれだけで評価される訳です。 ピン角をちゃんと見てても。自分でなんとかするしかないんですね。 それはそれは、孤独だと感じること多しです。 自分が部の足を引っ張っている気がして何度も辞めたいと思いました。 ですが、それでも周りで死ぬほど追い込んでる漕手をみて、自分も負けてらんないとここまで持ち堪えてきました。 一緒に戦う仲間がいたのはやっぱり大きかったんだと改めて感じます。 さて柄にもなく色々書いてしまいましたが、そろそろまだ引退してねーだろと言われそうなので、振り返るのはこの辺にして、最後に一言 全日本も勝ちます

最後の戦い

教育学部4年 和田優希です。 先日は沢山の方の応援のおかげで19年ぶりのインカレエイト優勝を成し遂げることができました。ありがとうございました。 しかし、いつまでも喜びに浸っていてはなりません。全日本選手権を1週間後に控えた今、猛追の他大学や実業団を抑えるために、漕ぎにより磨きをかけなければなりません。 早大の歴史を塗り替えた9人だからこそ、いや、その代の早大チームだからこそなし得ることができると信じています。 自分たちはまだまだ速くなります。 そして、全日本の頂点に立ってみせます。笑顔で引退してみせます。 エイトだけではなく、チーム一丸となって、たった2週間でインカレよりも数段上のレベルの漕ぎをしてみせます。 是非全日本もご声援のほど、宜しくお願い致します。 国体に出ない私にとっては本当の最終レースです。 早稲田を背負う人間の1人として相応しい漕ぎをします。 応援宜しくお願い致します。 教育学部4年 和田優希