2013年10月15日火曜日

新たなスタート


全日本選手権では、早稲田大学への沢山のご声援ありがとうございました。対校エイトを応援してくださった皆様、この度はこのような情けない結果に終わってしまい申し訳ありませんでした。

13日をもちまして、私のボート人生もひとつの区切りとなります。実に人生の半分、長いようで短い選手生活でしたが、必死に駆け抜けた10年でした。特に早稲田大学での3年半は、艇庫生活の記憶という記憶がほとんど無い程に、一瞬一瞬に私は生きてきたと感じています。

夏が過ぎ、引退の2文字が頭をよぎった時、人生の半分の時間、信じ続けてきた何かを失うのは怖いことだと思いました。エイトの7番を夢中になって漕ぐことも、長田とペアを走らせることも、高橋の渾身のコールに全身全霊で答えることも、山下とまた同じ艇に乗ってレースに出ることも、60分間エルゴと鬼の形相で格闘することも、身長が縮みそうな程重いバーベルを担いで潰れることも、全て「もうない」のだと思うと、なんだか自分が自分でなくなるような気がしてならなかったからです。
しかし不思議なことに、幸せなことに、今この瞬間はボートが漕ぎたいと素直には思いません。ここまで自分を奮い立たせてくれたエイトの皆、本当にありがとう!対校エイトを結成してから今日までの4ヶ月間の試行錯誤の日々は、私の人生の中でも最高に濃密だったと胸を張って言えます。そしてこの3年半の早稲田大学漕艇部での艇庫生活がこれから先の人生で胸を張って生きて行くための誇りです。

ボートと出会い本当に成長させてもらいました。そのボートを続けることを許してくれた親、ボートを始めるきっかけとなった河口湖にも感謝の気持ちでいっぱいです。

早稲田に来てから、大きな怪我もありました。気持ちとは裏腹に体が全く言うことを聞いてくれない時もありました。それでももう一度新藤が優勝トロフィーを担ぐ姿が見たい、新藤が7番を漕いで早稲田を日本一に導く姿が見たいという暖かい声援に励まされ、今日までがんばることが出来ました。

振り返ってみれば、悔いや心残りはたくさんあります。隅田で慶應なんかに負けたくなかったです。1度新人エイトで優勝しましたが、最後にチームとしてもう一度優勝の美酒を味わいたかったです。早稲田の先輩方が最も喜ぶ瞬間であるインカレ、全日本での優勝を、この2013年の体制で実現したかったです。

残念ではありますが、この後悔と心残りは私達の意思を引き継ぐ後輩たちに託すことになります。私達の忘れ物、「日本一」をできる限り早く後輩が取り返してくれることを願っています。

しかしながら、とっっっっても悔しかった!!!!何年、何十年先になるかわかりません。それでも、いつか必ずこの日本一の忘れ物を取り返しに!岡本監督や水谷ヘッドコーチ、木目田コーチ、波留コーチ、高谷コーチのように私も早稲田に帰ってきたいです。今は大人しくeasy oarですが、この悔しさに突き動かされて、いつしかまた動き出すことでしょう。その時はまた厳しく暖かいご指導をよろしくお願いします。

これまでのご声援、地響きがするような戸田の観衆、私は一生忘れません。時には暖かさに支えられ、時には厳しさに打ちひしがれ、その度に強くなれました。ご指導ありがとうございました。本日をもって新藤耕平は新しい人生のスタートを切りたいと思います。早稲田の皆さん、3年半の間、日本一の夢をありがとうございました。

4年 主将 新藤耕平

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