2014年9月8日月曜日

大好きな早稲田に貢献


高校生のときは、いつも2位でした。

「どうしても勝ちたい」との思いから、早稲田に入学しましたが、
先輩方と自分の実力差を痛感させられる日々が続きました。
勝ちたいどころか、これでは引退までレースに出ることもできないのではないかと本気で心配しました。

そんな私にも、チャンスが巡って来ました。
10月の新人戦の対校クォドに乗れることになり、
先輩の足を引っ張らないようにと必死に漕いで、人生で初めて「優勝」することができたのです。
初めての金メダル、初めてのトロフィー、初めてのwinning rowー。
どれもこれも嬉しくてたまりませんでした。
その日レースを見に来ていたある方から、こう言われました。
「2年生の2人が乗っていたら、負けないよな!」
まさにその通りで、このレースは偉大な先輩方に勝たせてもらったレースでした。

その日から、私の目標は「早稲田に貢献すること」になりました。
足を引っ張らないように漕ぐのではなく、早稲田の優勝に貢献できるように漕ぎたいと思ったのです。
そのために、冬場は猛烈に練習しました。
翌年の早慶戦には出場することができましたが、その後は軽量級で5連覇を逃し2位、インカレでは他種目が全て優勝する中メダルも取れず4位、全日本では決勝にも行けず5位と全く奮いません。
自身の無力さを感じ、自信も喪失していたとき、新人戦の対校クォドで、私がクルーリーダーを任されたのです。
この年は、クォドの10連覇がかかった年でした。
同種目10連覇は、どこもやったことのない記録です。
自信の持てない私にとってその記録はあまりに大きく、予選で負けて敗者復活に回った日は、不安で眠れなくなりました。

決勝の日、予選で負けた明治大、最後まで死闘を演じた富山国際大を1秒差でかわして1番最初にゴールに飛び込んだときのことは、今でも忘れられません。
息が苦しくて、腹筋が痛くて、サングラスを取ったら夕陽が眩しくて、目を瞑ったら涙が込み上げて来て...。
連覇を繋げて良かったと安心しすぎてしばらくガッツポーズを忘れていました。
でも、これでやっと少しは早稲田に貢献できたと胸を張って言える瞬間でもありました。

あれからもう2年。
あと2週間足らずで、私のボート人生は幕を閉じます。
今まで、早稲田の力になりたくて、自分自身を早稲田の一員として認めてあげたくて、濃密かつ苦闘の時間を一日一日積み重ねて来ました。
エンジを纏う最後のレースは、常勝集団としての早稲田に貢献するとともに、
伝統を繋いだその先、未来の早稲田に貢献する―そんなレースにします。

最後に、中学のソフトボールに始まり10年間、私を支え続けてくれたお父さん、お母さん。
本当にありがとう。

スポーツ科学部4年 副将 望月みづほ

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